OPP文化観光スポーツインタビュー

感動体験型交流産業のロマンを求めて、今、驀進中?。

平田大一 沖縄県文化観光スポーツ部長

文化で産業を起こすー。平田大一部長は43歳-.

稲野辺典正本誌編集長 平田さん、こんにちは。今日は時間を取っていただき有難うございます。 平田大一沖縄県部下観光スポーツ部長 稲野辺さん、こちらこそよろしくお願いいたします。 編集長 早速ですが、平田さんは、おいくつですか。 平田大一部長 僕は43歳です。おそらく琉球政府以来、40代部長ということで、去年はちょっと…、仲井真知事がかなり思い切った… 編集長 平田さんの部長就任は、大変、皆がびっくりした人事だったと思います。多分、平田さんもびっくりしたのではないですか。 平田大一部長 そうですね。 編集長 平田さんは南島詩人でもあり、吟遊詩人でもあり、また… 平田大一部長 演出家でもあるし… 編集長 役者でもあったし、そういう方が県の文化観光スポーツ部長になられたのですから、皆、びっくりしたと思うのです。 平田大一部長 最初は反対されました。何人か、近い関係者が、私のことを心配して、「やはり、潰されてしまうのではないか、埋もれてしまうのではないか」とおっしゃってくれました。やはり議会であったり、行政の中は、外から見たら中が見えなくて、「本当に大丈夫か」と、かなり心配されたりしたので、誰にも相談せずに、直接、知事から携帯電話が掛かってきました。、「仲井真です…」「どちらの仲井真さんでしょうか」という感じですね。 編集長 やはり、知事はどういう理由で、こういう人事をされたのでしょうか。こういうことはあまりないと思うんです。 平田大一部長 ですね。おそらくきっと知事が政治生命が掛かっているのではないかと、僕は話を聞けば聞く程、昨年1月17日の臨時議会で、新しい文化観光スポーツ部が出来るという事が決定され、それを受けて18日に、電話があったんです。民間登用ということを前から決めていたと。知事は「大航海レキオス」の舞台を沖縄電力の会長の頃、見ていらっしゃった。その後、「肝高の阿麻和利」の舞台であるとか、それらの舞台を見られたとのことです。僕はその頃、タオファクトリーという社団法人を立ち上げて、文化で産業、地域で教育、文化で産業を起こすという、地域と文化と教育で沖縄を元気にするというコンセプトで、活動をしていました。  ある意味では沖縄が持っている文化で、もっとアジアのダイナミズムを取り入れた形での、産業化を図りたいという思いが、あったんではないかと、そういう気がします。つまり若者たちが、憧れる仕事づくりということを考えた時に、文化と観光とスポーツをつなげたビジネスがつくれないかというのが、大きな意味で、知事からのミッション、使命はそこにあるのではないかと思いました。 編集長 そこが、文化観光スポーツ部の大きな方向であり、使命、役割なんですね。

観光とスポーツに、ブラス1の文化で、今、島全体をプロデュースし、若者の新しい仕事の形づくりー。

平田大一部長 要するに、若者たちの新しい仕事の形をつくっていくということ。もう一つは、これまでの沖縄の観光は、観光商工部にあったんです。つまり、それはどういうことかと言いますと、これまでの観光というのは、お土産物とか、物産とつながって、沖縄のリーディング産業になってきているわけです。どうやら、これからの観光に、もうプラス1のインパクトを付け加えていきたいと。知事が考えたのは、文化とスポーツというマグネットを持ったストーリー性を持たせたあり方… 編集長 素晴らしい考えですね。 平田大一部長 僕もそこに共感して、本来、演出家であったり、舞台をつくる人が、行政の中に入って何が出来るのかという、正直、自問自答もありましたが、知事の話を聞くにつけ、これは僕にしか出来ないかも知れないという気持ちになったんです。  そもそも昨年、知事に連絡を受けて、知事のもとに持っていった、これが最初の「平田マンダラ」ですが、僕の頭の中の?ボン知恵、ブレーンマップですが、要するに、知事はどうやら、沖縄全体をステージ(舞台)として捉え、ストーリーを書いて、テーマソングを作って、キャスティングをして、プロデュースをしていく。つまりこの島全体をプロデュースしていく、その文化観光スポーツの部長というのは、新しい形の沖縄全体を舞台にする、総合演出家ですねと、2月1日に知事に逆提案させていただきました。  もう一つは現代版踊り奉行のようなものです。それから最後に僕がやらなければいけないことは、文化を舞台を見て、感動をして涙を流すということもあるように、マラソンにしても走って達成感を感じる、それからアウトレクリエーションとして、海に潜って達成感を感じる、新しい世界に触れるとか、つまり、スポーツも文化も、感動体験型の交流の場としての産業なのではないか。そしてここに交流人口が増えてきて、チャリンと鳴ると経済波及効果が生まれてくると、そしてそれが観光とういう仕事になると。ですからまさに、僕は、新しい文化、観光、スポーツをつなげることによって感動体験型産業、つまり感動産業のクラスター構想というものを15年前からずーっと提唱しているのですが、いよいよ、「それをやってみろ」と言うふうな、僕は、チャンスをもらったんではないか。今までいろいろな観光審議会であるとか、文化の懇談会であったり、21世紀ビジョンの懇話会であったり、いろいろな場面に出ていく中で、沖縄県が、文化とか、施策の中に位置付けながらも、文化行政としては、それが形となって表われていないという現状を、とても感じていました。  ある面でいうと、いままで、いろいろな委員会で、ある意味、民間の一人として、言いたいことを結構、言わせてもらっていた…、なおかつ、補助金に左右されない、私自身、文化活動や地域起こしを目指して頑張ってきましたので、むしろこれからは自分たちの足で立つような、そういうふうなチームづくりとか、文化団体づくり、もっと言えば雇用にしても、仕事にしても、そういう部分が非常に沖縄が自立していく中で、そういうふうな施策、ビジョンを持った人が、一人ぐらいいてもいてもいいのではないかということで… 編集長 これからの時代の、平田部長は重要な考え方と実践する人ではないですか。 平田大一部長 ありがとうございます。 編集長 若い世代と言うか、今までの考え方と、グッとチェンジしないと、遅れていくと思います。

県庁内の善玉菌を増殖させ、職員の意識改革が、 文化観光スポーツ部に課せられたミッション、使命だー。

平田大一部長 僕が、その中で一番大事にしているのが、これで善玉ラボプロジェクトと書いていますが、ここのブースが、まず善玉菌を排出する、そのラボラタリー、研究所になるんだと、そしてその部分が、県庁にある善玉ラボを目指すということ。  2つはメスを入れるのではなく血を入れ替えると。要するに、メスを入れると返り血を浴びますが、組織を変える時に、組織の形を変えるというのも、大鉈を振るってあるのですが、その前に意識を変える、意識改革していくということが重要なんではないかと、個人個人職員の意識改革ですね。  そして、庁内の善玉菌を増殖させて、県庁内にある体質を変えるということが、まずこの部に課せられたミッション、使命ではないかと、僕は、考えています。  今、まず、文化観光スポーツ部というところが、ある意味、最も県庁の中でホットな部分になったらいいなぁと、昨年の4月から1年間、走って来たところです。  

来年度の予算は8月までに決まる、県の予算の仕組みー。

平田大一部長  稲野辺さん、実際、僕もこちらに入って分かったんですが、たとえば予算をつくるといっても、もう5月ぐらいから、次年度の予算の話し合いがあって、8月ぐらいには計画と予算が決まっているんです。どういうことかといいますと、去年の4月までの段階では、もう昨年の人が決めた予算があるわけです。レールがですね。うっかりしていると、もう次年度の予算、事業まで決まっているんです。自分のカラーを出そうと思ったら、3年目なんです、本当は。 編集長 そうですか。 平田大一部長  その中で僕はすごく恵まれていたのは、1つは一括交付金という、まさに去年の年末に、急に大きな予算が決まったんです。それによって、1回、8月までに決まっていた予算が、もう1回リセットされたんです。「よしやるぞ!」といって、一気に頑張って、うちの部だけでいうと、109億円、積み上げました。でもですね、内情は、そのうち約7割が観光の予算なんです。文化とスポーツの予算は、ほんとに少ないんです。ですから今年後半に、補正予算など頑張って、文化の予算、スポーツの予算をもう一度、上乗せしてもらうようやっていきたい。  

プレーヤー、コーディネーター、行政の 人材育成が3つのポイントー。

  平田大一部長 僕は人材育成には3つぐらいあると思うのですが、1つはプレーヤーとしての人材育成ですね。  文化で言えば、実演家というのでしょうか、演奏する人だとか、舞台に立つ人ですね。それからたとえば、コーディネートする、マネジメント出来る人材の育成ですね。プレーヤーが立つ舞台をつくる人たちが必要です。いままで、ここだけが必要だと言われていたのですが、3つ目に人材育成で大事なものは、行政でいえば、文化でいえば、文化行政の人材育成、つまり、行政の中に、そういう専門的な知識がありつつ、いわゆる大きく見れる人が、自分の個として持っている視点と、大きな目でつなげていくことが出来るような視点を持った人。普遍的な思いと客観的な部分を持った人が非常に重要になってきています。そういう面で言うと、まさにこの行政の中の人材育成ということを、行政としては、スペシャリストを目指していくということをつくっていくという、3つの人材育成が重要だと思っていますし、動いていきたいと思っています。    観光も一緒です。観光も観光のスペシャリストが必要ですね。いくら県が施策を打って、予算をつくっても、民間の観光業者の中には、こんな使い勝手が よくないものを、使いたくないと言ったら。意味がないことがあります。  ですからどう裸感覚というか、外部とのネットワークがあって、且つ、県民や観光客や、そういう人たちが求めていることを施策として上げて、事業として立てて、そこに予算を付けられるということが、重要な、必要な人材になってくると思います。  かって、舞台をつくるということで、地域づくり、地域担い手の人材育成をやっていた自分が、今度は、善玉ラボプロジェクトと言っていますが、県庁にいる職員が善玉菌となって、この部で、チームビルディングであったり、コミュニケーションであったり、ホスピタリティーであったり、こういうものを持って、また他の部に行って、また県庁全体を活性化していくという、そういうところのために、今、頑張って力を入れていこう考えています。

復帰20周年、MIN-ON「ミュージカル大航海」全国公演と 幸喜良秀先生の思い出?

編集長 平田大一さんのことは20年前ぐらいから知っていますが… 平田大一部長 古い…(笑い)。 編集長 MIN-ONの舞台、あの時は、平田さんは若きアクターであり、プレーヤーでしたね。私も若かったんですね、舞台の東京・新宿の厚生年金ホールまで行って、見にいきました。 平田大一部長 「ミュージカル大航海」ですね。 編集長 宮城早苗さんとか、玉城敦子さんとか、もう20年ぐらい前でしたか。 平田大一部長 20年ぐらい前ですね。復帰20周年の全国公演ですよ。 編集長 まさかそういう人が20年後、県の部長になったということは凄いと思いますし、ですけれども、今、お話を聞くと、平田さんは、何人分もの仕事をしてきたと思いますし、相当、問題意識を持って、それに関係する勉強をされ、努力してきたなぁと感じます。 平田大一部長 有難うございます。今、県庁の中にいるのですが、やっていること、目指しているものは、その時の延長線上にあるんです。  稲野辺さんに見てもらった舞台に立っていた頃の僕自身も、南島詩人という名前で、一人舞台をやっていましたけれど、「南島詩人一人舞台」を、当時のMIN-ONの生駒さん、パレット市民劇場の館長をしていた宮城  さん、そして幸喜良秀先生. 幸喜先生が当時は、この部屋で、観光リゾート局長をしていて、且つ演出家をしていて、「ミュージカル大航海」をつくられました。、幸喜先生は、そういう面でいうと、20年来の付き合いなんです。その時、幸喜先生とすごくやり合って、「平田は役者に向かない」と怒られました。面白かったのは、幸喜先生がその時に、「お前は役者に向かないけれど、演出家をやってみたらどうだろう」。「演出家ですか」。  その時は、「演出家」といってもピンとこなかったですが、それから10年経って、その時31歳になって、僕は勝連で「肝高の阿麻和利」をつくったんです。幸喜先生は中城で「護佐丸の星」という舞台をつくって、阿麻和利と護佐丸という宿命の因縁の人たちをあつかう舞台をお互いつくって、今は、幸喜先生が前にいたこの席にいます。幸喜先生は今、国立劇場おきなわで芸術監督をされています。僕は、ミュージカル大航海の全国27公演が終わって、小浜島に帰ったんです。小浜島で民宿業をやりながら、観光のバスの運転手をやりながら、南島詩人として活動を始めていました。幸喜先生がわざわざ、迎えに来てくれたんです。  幸喜先生は「今、席が1つあるから、来ないか」と、わざわざ声を掛けていただいたんです。またあの時、先生は厳しく言われていたんです。本当はあの時は愛情でもって厳しく言われたんだなぁと、今だから分かるようになったんです。  そういう面では、今、この立場で、立ち位置で、やらせてもらっているものは、任期的なもので、稲野辺さんもそうかも知れませんが、僕も実は全然分からなかったのは、部長という仕事が、ずーっと行政の叩き上げの最後の仕事で、50代の後半になって、部長を最後に定年退職するというのが普通なんです。 編集長 そうですね。 平田大部長 上はもう知事、副知事しかいない。ですから、その面でいうと、40代で部長ということ事態が、やはり余程の思いが知事の中にあって、いわゆる、揺らぎ、揺さぶりというか、風穴を開けたいという気持ちが強かったのではないかという気がします。 編集長 そうですか。それと文化と共に、平田さんの人間性というのか、また素晴らしいと思いますし特徴ですよね。また若くて元気で、自分の考えをきちっと持っていて、いろいろな方から愛されて、敵をつくらないというのは、OCVBの安里繁信さんと違うのではないですか。今度の県議会はその問題で紛糾するといわれていますね。

OCVBの安里繁信会長問題…

平田大一部長 ご存知のとおり、観光業界はこれまでの大きな歴史がありますから、彼のような存在というのは、県民に見られる、注目度が高いポストですよね…。 編集長 ですから、それに応えられるというか、やはり、そのポストをこなすということはかなり難しいことだと思いますが……、 平田大一 彼のどこかで、彼の持っている才能とか力を発揮出来る場面があると思いますが、それはそれとして、やはり、おっしゃるように、いろいろな方々いるところの団体の、いわゆるリーダーなので、彼もいろいろ考えながら、これから身の振り方も含めて、頑張っていかなければいけないなぁという気がします。 編集長 先輩たちに憎まれてしまってはまずいし、それでは組織が動きませんね。 平田大一部長 そうですね。ある意味では個人的には友人でもあり、知っていものもあるわけですが、故に、僕自身もいろいろと、今の立場の中で、ある意味、コンベンションビューローと県の行政は、特に両輪でなければいけないわけで、これからのことに、取り組み方というか、向き合い方というのがあるのかなぁという気がします。だからこそ今こそ、僕は明るい情報をなるべく、うちの方からどんどん出していきたいと考えています。  

県立芸大の改革のスタート、アーツマネジメント講座の開講。

平田大一部長 今の県立芸大の改革ですが、というのは、アーツマネジメントという、いわゆる芸大の中に、プレーヤーをつくってきたけれど、コーディネートする、マネージメント力を持った人 これは文化に特化しないのですが、文化的なことを学んだ人が、文化スイッチを持った人材が、地域や社会や世界に貢献出来るようなラインが必要なんではないかと、平成25年度、来年度から、まずは科目から、カリキュラム化に向かって、準備していこうと 今年度、4月から毎月1回、平田大一部長をプロデューサーとして、 アートマネジメント講座を開いています。 編集長 そうですか。 平田大一部長 著名な方をお呼びして、僕が「この人の話は面白い」と思った人をお呼びして、その人とクロストークしながら、人材育成が大学にとって、芸大にとって、アートマネジメントの人材カリキュラムがどれだけ必要が話し合っています。第3回は6月9日(土)にファッションデザイナーのコシノジュンコさんを招いて開催されます。 編集長 掲示板にポスターが貼り出されていましたね。今、NHKの連続テレビ小説で放映され、また注目されている方ですね。素晴らしい講座、企画だと思います。 平田大一 体にメスを入れているわけではないのですが、体の形が変わっているわけではないのですが、ただ、そういうことをやっていく中で、気付いたら体質が改善されていましたという、そういうものを目指しています。 編集長 大事なことですね。そういう心というか、気持ち、やる気で決まっていくと思います。 平田大一部長 組織改革もイノベーションも含めて、結局、そういうふうな講座から、意識が変わっていくんです。そこから始まるのかなぁと思います。 編集長 平田さんは、昨年の4月から、1年4ヶ月、こうして頑張ってこられているんですね。すごいと思います。 平田大一部長 すごく変わったと思います。今日も朝7時半から会議して… 編集長 へえー

朝7時半からの会議でスタートー。

平田大一部長 文化関係は特にですね。やっぱり今まで筋肉がなかったので、朝7時半から会議、普通、それをすると、われわれはゼロ校時みたいなもので、「部長、これは時間外ですか、どうですか」という話になりそうなものですが、7時半の会議に、皆、喜んで来ています。いいものをつくるために、「部長のここしかない」と来ています。  実際、8時、9時のスタートからは、一気にいろいろ表敬があったりしますので、7時半しか出来ないわけです。

離島、文化、スポーツ、ルーツ、プロモーションの5つを柱にした、 「あともう1泊してもらいたい沖縄」で観光収入1兆円を達成?。

編集長 あとは、第5次観光開発計画が決定され、スタートし、観光入域客の1000万人を目指し、今年度は620万人、観光客1人当たりの消費額を伸ばすとか、全体の観光収入1兆円とか、目標が新聞に紹介されていますが、これらについていかがですか。 平田大一部長 まず、観光入域客1000万人に関しては、知事の公約でもあるのですが、僕は付加価値指数だと思っています。1000万人の人たちが沖縄に来たい!という付加価値が1000万人ぐらいある沖縄で、果たしてあるかないかと言えば、今、560万人なんです。ですから付加価値指数を2倍にしなければいけないと言うならば、実は今日、用意した資料、あとでお持ち帰りいただきますけれど、トリプル、3つの…、「まず沖縄に1回来てもらいたい」、「あと1泊してもらいたい沖縄」、「もう一度来てもらいたい沖縄」の3つを実現させていこうと、その中で最も大事なのが、「あと一泊してもらいたい沖縄」で、おそらく720万人ぐらいまで入域観光客を引き上げられたら、この観光客がもう1泊したら1兆円に近くなるんです。ですから、1兆円を目指すということがある場合、そこに、入域観光客1000万人にならないと、1兆円にならないのではなく、720万人でも、この泊数とか 編集長 滞在日数ですね。 平田大一部長 そうです。 編集長 観光客があと1泊すれば1兆円になってしまうわけですか。 平田大一部長 そうです。今の部分からプラス1泊すると1兆円近くになるんです。ですから僕はもう1泊してもらう施策をやる必要があると思います。  また「まず1回、来てもらう沖縄」という施策の面では、予算としては、プロモーション費、頑張って取りました。次年度はあと1泊してもらうために、離島、文化、スポーツ、ルーツ、プロモーションという5つの柱を立てて、離島に魅力をいっぱい出していくと、沖縄本島から離島まで1泊、足を伸ばしてもらう、文化が、ナイトカルチャーだって、夜、見ると、とてももう1泊されたら、すごくいいものを見れるんですよと、もう1泊、足を伸ばしてもらう、スポーツもルーツもそうです。  ルーツに関しては、ウチナンチュ大会ですね。ウチナンチュ大会みたいに、沖縄の10年後は、ルーツにまつわる、そういうツーリズム、ルーツアイランドというか、日本のルーツ、それからアジアのルーツ、そして人のルーツ、そのルーツが沖縄に来ると分かる、「ルーツミュージアム」みたいな考え方で、博物館、美術館共に展開したらいいのではないか。沖縄は、そういう原点の島、平和であっても、文化であっても、そういう平和原点の島であり、沖縄に行けば、人間の、生きとし生けるもののルーツが感じられるような、空手もそうですし、エイサーもそうですし、そういうルーツをたどってくる人たちの受け皿としての沖縄の姿みたいな、5年後、10年後の新しい沖縄の形になっていけば、いいのではないかと思います。

世界を国内を沖縄中を駆け巡る、行動の平田大一部長?。

編集長 平田さんは外国に行ったり、国内を飛び回ったり、フル回転していますね。 平田大一部長 昨年は南米、北米、ハワイ、それから中国は3、4回行きました。今年もまた、飛び回りながら、是非、新しい文化と観光とスポーツを、つなぎ合わせた形、仕事の形をつくっていきたいと思っています。 編集長 本当に43歳は働き盛りだと思います、青年時代も平田さんは相当、やってきましたが、その総仕上げというか、出来ますね。 平田大一部長 今でしか出来ないこともまたあるし、今だから、逆にある意味では、悩みも重石もありますけれども、今もらった、このチャンス、機会は今しかないので、本来ならば、定年退職を前にした方がなさる最後の仕事ですから、それを40代前半でさせてもらうというのは、これは意味があるなぁと思っています。是非、今後共、折りにふれて、お話が出来ればと思っています。 今日(5月24日)午後4時から、グランドキャッスルホテル日航那覇で講演会があります。  編集長 平田さんが公演されるのですか。 平田大一部長 そうです。これから知事と相談しながら、部長はあちこち回って、自分の思いを語るようにしています。 編集長 今日は本当にありがとうございました。とても有意義なお話でした。さらなるご活躍を祈っております。 平田大一部長 こちらこそありがとうございました。