水のはなし <2>

羽衣伝説と井泉

山城充真

 私の母は、現在那覇新都心である銘苅の生まれで、自宅近くに泉井があり、羽衣伝説が伝わるところで育ったそうである。そのため筆者は、羽衣譚の話を幼いころ幾度も聞いたものである。後になって、羽衣伝説は沖縄本島の5カ所に伝わることが分かった。  これらの天女天降り伝説は、いずれも井泉と関わって伝でられている。特に有名なのは、奥間大親と天女伝説で、森川{井泉}と関わっており、この伝説は羽地朝秀が書いた史書『中山世鑑』の中に、察度王は浦添村謝名の奥間大親が一男也。母は天女也と出ている。銘苅子の羽衣伝説も那覇市銘苅原のある井泉と関わっており、「琉球由来記」に、銘苅子は天女と結婚して男子二人、女子一人を生んだが男子二人は夭死。女子一人は長じて第2尚氏王統、尚真王の夫人となったという。  西原町の宮城にもウスク井があり、この井戸にも天女伝説がある。天女は一男一女の母となり、男は成人して宮城の地頭職になり、娘は成長してノロ職に付したという。天女は天に帰らずに生涯を閉じ、村人が神としてクバダウ盛に葬ったという。  また、西原町我謝に烏帽子(えぼし)ガーというのがあり、その井泉に天女が降りたという。天女との間に姉・弟が生まれたが、天女は羽衣を発見し、二人の子供を抱え、天に舞ったという。後年に御獄として信仰の対象になったという。さらに、与那原の御井の附近で遊んでいると、天女はその井戸の中から悠々と現れ、東にある大樹に上がり、青空に飛び去ったということが、「球陽、尚敬王30年」にある。  いずれにせよ、沖縄の羽衣伝説は、どこから、どのような意味合いで伝播してきたのであろうか。まず、日本本土における羽衣伝説は、日本の古典文学にあらわれた著名な伝説の1つである。天女女房譚が伝説化したもので、古くは奈良時代の「丹後風土記」逸文に記される。8人の天女が水浴をしている。老父が一人の天女の衣装を隠したので天女は空へ帰れずに、老人の子供になる。後に豊宇賀能売命として神にまつられる。沖縄本島の羽衣伝説はこれらの物語に近いと思われる。     東アジアには、天女女房譚が発達しているが、白鳥処女伝説型の類話が、混在している地方でもある。これらの地域の天女女房譚には、天井の世界の観念が明確にあらわれてくる。羽衣を得て天に去った妻を追って、夫が天界を訪問する話は、日本・中国・ベトナム、インドネシアなどに分布し、多くは七夕の由来説となっている。宮古・八重山などの羽衣伝説は、これらの物語に類似していると思われる。  天女は大空から、海の彼方から、あるところに限って、富と幸福とをもたらす、折口信夫のいう「まれびとのおとずれ」であろうか。  天女女房(羽衣伝説)として、南島の奄美では、『テンカアモロ』(徳之島に伝わる天女女房譚)があり、沖縄本島の物語と類似している。沖縄本島では組踊とも関わり知られる銘苅子。察度王に寄せられて語られる宜野湾の森川などが伝説化されている。  また、宮古では、天に戻った天女が群星(昴)になる群星由来。八重山では、天女が貧乏な孝行息子のもとへ押しかけ女房となるが、男にタブーを起こされて、子を抱いて七つ星(北斗七星)になるという北斗七星の由来などがある。  宮古・八重山の羽衣伝説は『かぐや姫』の竹取物語と同様に、星との関わりが強いようである。沖縄本島の井泉と関わる羽衣伝説とはいくつかの違いがあるうようである。

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