首里城

首里の歴史


琉球王朝時代は、都とし栄え、 琉球処分まで、高級官吏の住む街「首里親国」(シュイウェーグニ)として栄える 昔は首里市だったが那覇市と合併し、沖縄戦の時は日本軍司令部壕として使われた。

そのひゃんうたきいしもん

園比屋武御嶽石門

沖縄各地にある聖地「御嶽」の一つ。尚真(しょうしん)王時代の 1519年に創建された拝所です。琉球王朝時代、祭礼時のほか国家の安泰、国王が各地 を巡回する際の安全祈願を行っていました。聖地部分はこの石門ではなく、門の背後の樹林地です。


龍樋 龍樋

龍の口から湧水が湧き出していることからそのように名付けられた。この水は王宮の飲料水として使われていた。

系図座

士族の家系図の管理や、歴史書の編修などを行った役所です。さまざまな記録の調査や、それらに関係する訴訟事の取り扱いを行い ました。

用物座

城内で使われる筆記用具や日用品、資材などの保管や管理をしていた役所です。さらに、江戸幕府や薩摩藩、中国への献上品の出納や、 周辺の島々から納められた反物などの管理を行っていました。

万国津梁の鐘

万国津梁の鐘

1458年に尚泰久(しょうたいきゅう)王の命で鋳造され、首里城正殿にかけられたと伝えられる。 仏教のことについて述べたものである。現在は、県立博物館に保管されている。



日影台

日影台

水時計の補助的な道具として使われた。従来の漏刻は不完全であるとして 1739年、設置したと伝えられる。

弁財天堂

弁財天堂

朝鮮王から贈られた 方冊蔵経を納めるために、設けられそこへ渡るための橋 である天女橋が造られました。薩摩藩が琉球に攻め込んできたために、お堂は破壊されて 方冊蔵経は失われた。新たにお堂を建て弁財天像を祀って以来、 ここは弁財天堂と呼ばれるようになった

円覚寺

1494年に鎌倉の円覚寺を模して建立された。 寺前にある円鑑池では、中国からの冊封使を招いて宴が開かれるなど、 琉球王朝史の中で極めて重要な位置を占めていた。

龍潭

1427年に造られた人工の池である 当時、庶民がくつろいでいた名勝であった。 中国皇帝の使者・冊封使を歓待する船遊びの宴も行われた。

首里森御獄

首里森御獄

この御嶽は琉球開闢神話にも登場して神が造られた聖地であるとされていて 首里城ができる前からあった祈りの場所で、城内でもっとも神聖な場所のひとつ。


京の内

城内最大の信仰儀式の場所。首里城発祥の地ともいわれ、 聞得大君(きこえおおきみ)ら神女(しんじょ)たちが、ここで王家繁栄、航海安全、五穀豊穣(ごこくほう じょう)等を神に祈っていた。

西のアザナ(いりのアザナ)

標高約130メートルに位置し城内見渡すことができ、城外を見渡せば眼下に那覇市の街並み、 慶良間諸島まで一望することができます。 1879年の琉球処分まで、漏刻門(ろうこくもん)の時を報せる太鼓に呼応して、 同時に鐘を打って城下に時刻を報せていました。 別名「島添(シマスイ)アザナ」とも呼ばれている。


西のアザナからの風景

東のアザナ

東のアザナでも西のアザナおよび右掖門で同時に大鐘を打ちならし、城内および城外に時刻を知らせていた。