謎の集団!?金山衆
甲斐には当時20以上の金山がありましたが、そのほとんどは生産と管理が独自に行われていた為甲斐の財産にはなっていませんでした。 採掘していたのは「金山衆」という技術者集団で、甲斐では硬い岩盤を手作業で掘り進み金を精錬するという高度な技術は金山衆しか 持っていませんでした。しかし独立しているとはいえ戦国時代ほかの豪族から身を守るため大きな負担を強いられていて、そこで信玄は 身の安全を保証し取れた金の4割だけを受け取る約束をしました、そのおかけで金を掘れば掘るほど金山衆の生活は豊かになり産出量は増えていきました。 信玄は金山衆を強引に支配するのではなく、双方が満足できる関係を気付き莫大な 金山衆は武田氏とも知行関係が不明瞭であり直接経営に疑問視もされているが、近年では金山衆は棟別役や諸役の免除など保護を受け、金鉱採掘のほか農業や商業を営み、採掘技術を活かし合戦における坑道掘りなどの軍役や普請事業にも従事していた集団であることが明らかにされている。武田氏滅亡後には、金山衆は徳川家康により保護されている。