戦国の巨獣、武田 信玄その生き様に学ぶ

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金山衆

謎の集団!?金山衆

甲斐には当時20以上の金山がありましたが、そのほとんどは生産と管理が独自に行われていた為甲斐の財産にはなっていませんでした。 採掘していたのは「金山衆」という技術者集団で、甲斐では硬い岩盤を手作業で掘り進み金を精錬するという高度な技術は金山衆しか 持っていませんでした。しかし独立しているとはいえ戦国時代ほかの豪族から身を守るため大きな負担を強いられていて、そこで信玄は 身の安全を保証し取れた金の4割だけを受け取る約束をしました、そのおかけで金を掘れば掘るほど金山衆の生活は豊かになり産出量は増えていきました。 信玄は金山衆を強引に支配するのではなく、双方が満足できる関係を気付き莫大な 金山衆は武田氏とも知行関係が不明瞭であり直接経営に疑問視もされているが、近年では金山衆は棟別役や諸役の免除など保護を受け、金鉱採掘のほか農業や商業を営み、採掘技術を活かし合戦における坑道掘りなどの軍役や普請事業にも従事していた集団であることが明らかにされている。武田氏滅亡後には、金山衆は徳川家康により保護されている。

信玄肖像
  • 甲州金
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    • 甲州金

      日本初の金貨・甲州金

      甲州金(こうしゅうきん)は、日本で初めて体系的に整備された貨幣制度およびそれに用いられた金貨である。 甲州一分金 背重戦国時代に武田氏の領国甲斐国などで使われ始め、文政年間まで鋳造されていた。 武田晴信(信玄)によって制度が整えられたとも言われており、大小切税法(だいしょうぎりぜいほう)、甲州桝(こうしゅうます)と併せて甲州三法と呼ばれている。 戦国期には、各地の大名が金貨を鋳造したが、それらは重さで価値を計る秤量貨幣であった。それに対して甲州金は、金貨に打刻された額面で価値が決まる計数貨幣である。 甲州金では1両(りょう)=4分(ぶ)=16朱(しゅ)=64糸目(いとめ)という4進法が採用されていた。 用いられた貨幣の種類は、次の通り 「両」、「分」、「二朱」、「朱」、「朱中(1/2朱)」、「糸目」、「子糸目(1/2糸目)」、「子糸目中(1/2子糸目) 」、この4進法の体系は江戸幕府に引き継がれる。 「金に糸目をつけない」の糸目とはこの甲州金の通貨単位に由来する。すなわち僅かなお金は気に留めないということである。

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    • 金山衆

      戦にも活用された技術

      深沢城攻め:元亀2年深沢城を包囲、信玄はこの城攻めに多くの金山衆を同行させていました。無益な長期戦を避けるための信玄の秘策が隠されていました。 金山採掘の技術を生かして敵の城のしてに穴を掘り井戸の水を抜き僅か半月で降伏させたという、その他にも城の堀を陥没させたりもしてといいます。

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